中村清吾先生を偲んで
- kampokisshokawasak
- 12 分前
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インターネットのニュースで、中村清吾先生の訃報を知りました
68歳、膵臓がんだったとのこと
もう二度と、偶然の再会も、近況の報告もし合うことはないのだと、
胸に静かに落ちてきました
中村先生は、乳腺外科医として日本のトップに立たれた方です
患者さんはもちろん、医療業界の多くの方々から、深い哀悼の意が寄せられていることでしょう
でも私は、少し違った面から、そのお姿を偲びたいと思います
約30年前
私が聖路加国際病院で外科研修医として過ごしていたころ、先生は35歳前後で、
指導医として毎日のように手術をご一緒させていただいていました
ある日、腹腔鏡手術で私がカメラ担当だった時のこと
中村先生:
「もっと、こっちを見せて!」と叱咤が飛んだその瞬間、
私は叫びました:
「先生のお腹でカメラのコードが手術台に押さえ込まれていて、動かせないんです!」と
今となっては、笑い話です。
乳腺外科の発展に多大な貢献をされた中村先生、
でも本当に、乳腺外科が一番お好きだったのでしょうか?
私の記憶には、腹腔鏡下胆嚢摘出術に情熱を注ぎ、膵頭十二指腸切除術といった大きな消化器外科手術にも果敢に挑んでいた先生の姿があります
あのダイナミックな消化器外科の世界も、きっとお好きだったのではないかと思うのです
30代の頃の中村先生は、がっしりした体格にギョロっとした目が印象的な“男前”
女性患者さんから見れば、きっと柔らかく優しい印象の先生に映っていたことでしょう
その延長に、乳腺外科の道が開けていったのかもしれません
物理学を学ばれたのちに医学の道へ進まれたこと、乳腺MRIの導入など新しい取り組みにも積極的だったことを思い出します
私はその後、母校に戻り、自分なりの道を歩んできました
学会の壇上で先生をお見かけすることは何度もありましたが、乳腺外科の専門に進まなかった私は、直接ご挨拶に伺うことはありませんでした
それでも一度だけ、学会会場のトイレを出たところで、まさかの再会がありました
目の前に、あの大きな目の中村先生
見開いて私を見ている…
え?私? それとも、私の背後の誰かに?
そう思って振り返ると、
「君だよ、君。元気?」と、先生の声
私はとっさのことで、ちゃんと挨拶もできないまま、
「じゃ、またね」と去っていかれました
もう、会えないのですね
日本の乳腺外科の歴史に残る方
その若き日を、私は間近で知っていました
そしてその人生が駆け抜けていったことを、今はただ静かに見送るのみです
これからの人生、こんな別れが少しずつ増えていくのかもしれません
私も、自分の「その日」を意識しながら、少しでも悔いのないように歩んでいきたいと思います
あの頃、あの日、同じ時間と空間を共有できたこと
心から、感謝しています
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